| タイトル |
日 時 |
間奏
音楽を如何に遊ぶか。60年代のロックの映像を見てゐると聴衆は思つたよりも静かで無関心を装ひながら聴いてゐる。しかし、ライヴ録音などを聴くと、やはり、熱狂的である。僕のはじめてのライヴは瞑想的だつた。御茶ノ水のナルで、耳が壊れるやうな音響のなかで誰もが目を閉じてゐた。学校が終つて土曜日の午後であつた。僕たちの頭のなかには、ランボオとジャムが共存してゐて、まだ三島由紀夫が生きてゐた時代だつた。そして、永島慎二が理想的な漫画家だつた。・・・感受性がすべてであり、すべてを支へ、すべてを評価すると云ふヴァ...
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2008/07/24 12:34 |
美は痙攣する
中年を過ぎてゆくと直感のなかに論理的な思考が見へてくる。まあ、自分自身でさう思つてゐるだけではあるが、だからイエイツの詩も後期の方が面白く感じられるのだらう。しかし、弊害もあるかもしれない。僕のブログの殆どがさうなのであるが、なんでもが一つのテーマに関連するやうになる。他人は大抵呆れるだらうと思ふ。なぜシベリア抑留とアウシュビッツの収容所とイエイツが関連するのか。そして、其れらがなぜ叡智と無知なのか、と。しかし、僕のなかでは不自然ではないのだ。此れは老人の思考と云ふものだらうか。或る一つのことを...
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2008/06/20 13:00 |
叡智と無知
遊びのなかで、誰にも答られない謎を出すことが最高の智恵であると云ふやうなことをホイジンガは書いてゐた。しかし、答のない問もまた少なくないのである。其の問に答があるのか、或いはないのか。・・・数十年の昔に、仙台に大きな地震があつて、其の人は三分が三十分にも感じられたと云ふ話をしてゐた。僕は、一分を十分にも感じたのはエレベーターのなかで揺れを感じたときだつた。僕は、珈琲を飲みながら不順な五月の空を見てゐた。彼は、笑ひながら、其れもいい経験でしたと云ひながら去つて行つた。まるで答のない問に簡単に答を出...
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2008/05/17 07:32 |
赤。青。黄。・・・其れとも。
雨の日が続くと憂鬱にもなるのだが、子どもの頃はさうではなかつた。雨の公園で遊ぶことは詰まらなくはなかつたし、一人で部屋のなかから外を眺めることも悪くはなかつた。軒下で雨音を聞いてゐるだけでも、世界は新鮮だつた。雨の降る地上と雨の降らない地上の境界に僕たちは立つてゐて、信頼できる上級生が乱歩の話をしてくれた。乱歩がだれなのかも知らなかつた。巧みな話術が僕たちを愉しませた。・・・世界はいつも境界の向かうとコチラとに分かれてゐて、僕は、しかし、いつもコチラ側にゐた。彼は向かうとコチラを往復してもゐたの...
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2008/04/11 14:37 |
草を批評する、道すがら。
(批評とは隙間へ楔を打ち込むことかもしれない。草は種でもある。散歩の途中で古本屋の均一本の棚から喫茶店で読めるやうな本を選び出して、また歩き始める。散歩と読書は薄れてきた記憶のための応急処置でもある。竹林の小屋の近くには日参するやうな喫茶店はなくなつた。コチラも山手線のやうな店内には慣れてきたけれど、此処で時間を愉しむことはできない。今回はさうしたことと無関係ではないかもしれない。多分、詰まらない。勿論、草を愉しむのだから批評にはならない。看板に偽りあり。本の著者名は敢へて書かなかつた。其れがだ...
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2008/03/29 15:20 |
増幅する装置、肖像、野蛮。・・・其のほか。
実証科学は一般に儒学からきてゐるのだらう。だが、新井白石から読み始めるには老人は無知である。運動体と波動性の理論をまとめたのは歴史学から転じて物理学を学んだソルボンヌの学生だつた。彼の理論のためにはアインシュタインが必要だつたかもしれない。僕は、此処に空想を必要としたと考へる。・・・歴史のなかに、巨人は存在したのだらう。さうでなければ実証までは辿り着かなかつた気がする。巨人が食料としたのは海の貝である。其の痕跡はだれもが知つてゐる貝塚となる。「常陸國風土記」にはさう書かれてゐる。風土記の時代から...
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2008/03/11 13:22 |
私が生延びて、・・・きみが残り、・・・死は此処から、・・・。
前回の終りに、映画「エヴァンゲリオン」のなかの「無伴奏チェロ組曲」に触れたけれど、木の鍵盤も絃も耳を陶然とさせることを書いてゐたのはシェークスピアだつたことを思ひ出したのだつた。映画の終りは、殆どすべてが消滅してしまつて、生き残つた二人だけの世界である。水辺にシンジとアスカだけが横たはつて、アスカは瀕死の状態にあるし、シンジの眼は虚ろである。すべての人間は、人間の味方である人間も、人間の敵である人間も、みな海へ溶けてしまつた。(おそらく、海は生み、或いは産みへと繋がるのだらう。)其の岸辺に二人だ...
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2008/03/01 14:09 |
夢のなかの雑感
《「あんたが大学で使った心理学のご本には、ぜったい書いてないような心理が、いくらでもあるのよ」とママはいった。》(ジェイムズ・ヤッフェ)
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2008/02/16 08:24 |
永遠の不安定性
for girls / by girls
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2008/01/30 14:33 |
午前三時のオペラ通り。
《美しい挿絵に心奪われた子供も
そんなにむやみに眼をみひらきはしない》(ルイ・アラゴン)
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2008/01/07 07:50 |
黄金の揺籃
再度、足を痛めた建礼門院殿へ
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2008/01/01 01:11 |
贈物・感想・えとせとら
今年さいごのブログは竹林の小屋へ訪れて下さつた方々への感謝の気持ち。僕のノートにあつた勝手な引用を其の儘に書き写した。何時のノートかつて?勿論、明後日のノートですね。(十人にも満たないお客様の名前は略。)
・・・CU
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2007/12/23 12:41 |
Mikrokosmos 3
《軍隊という一つの完結した世界のようでありながら、外部の世界と通底している。》(森毅)
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2007/12/11 15:31 |
Mikrokosmos 2
《山田孝雄氏を芥川龍之介は「やまだよしおし」とよんでいる。松尾捨治郎氏は「やまだたかおし」と発音した。》(中野重治)
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2007/12/01 15:27 |
Mikrokosmos
《あんなに暖かい色ばかり使っているのに、冷たくて鋭くて、それに虚で、・・・。》(李良枝)
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2007/11/20 13:54 |
捨てる技術
《俳優はこれまで身につけた技術に、絶えず疑いを持っていなければならない。そして、それをきれいさっぱり捨ててしまえる勇気を持たなければならない。》(山崎努)
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2007/11/03 12:15 |
「エヴァンゲリオン」を読む。
(0)
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2007/10/22 07:23 |
最も「無意味」で苛酷なもの。
人生をさうみることもできるし、さう考へることもできる。作品の結末が暗いものは、僕は、大抵好まないのであるが、Bernice Rubens は人間の悲劇も喜劇も面白いと云ふ。棚から少し古い彼女の研究書を出してきて、ネットで調べると2004年にルーベンスは亡くなつてゐた。僕は、其の翻訳も原書も読んだことがない。果たして翻訳はあるのだらうか。散歩の途中でペイパーバックを見つけるかもしれない。・・・だから、ルーベンスについては受け売り以外にはなにも書けないのである。但し、今回の題名は僕の持つてゐる研究書...
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2007/10/14 23:22 |
人は少しづつ変はる。
未整理のダンボール箱が一つ残つた。本と玩具とノートなどのがらくた類である。面倒だから放置した儘である。パソコンの横に置いて、蜜柑箱よりも大きいので邪魔には違ひないが、僕は其の横で昼寝をしたり本を読む。人が少しづつ変はるのも四季の移るのも確かなことである。九月は涼しかつた。十月は早寒い。人は少しづつ変はる。・・・さう歌ふ中山ラビを聴く。あの夏は消へて、いまも私の夏はつづくと歌つたのは石川セリ。
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2007/10/02 07:59 |
夢みながら老いてゆく・・・。
イエイツの詩のなかにあつた言葉であるが忘れてしまつた。胡麻油のブログはゆつくりとしか書けない。・・・(日付のない日記)の三作目である。前の二作とも詩や詩人に inspire されるやうに書いた。種を明かせば、ジイドの真似をして書くつもりだつたが遠いものになつた。夏に入つてから今日まで頭の悪い状態が続いてゐる。故に、胡麻油の、斯様なブログを書き始めたのかもしれない。此の落ちは大抵の人が知つてゐるだらうなあ。
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2007/09/21 12:57 |
菜種油に胡麻油を少量加へて、・・・。
Θεόφραστος に拠れば、「晩学」は、つまり《年甲斐もなく、教養ごとに憂き身をやつすこと》として、其れを年寄りの冷水とも云ふ。
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2007/09/20 10:16 |
ひとつのものずきありてはやるなり・・・
漱石の「猫」のなかに孔雀の料理のことが出てくる。其れは鳥の舌の話だつたか。ナポレオンの好みの料理は鶏である。多くの料理人を抱へて其れらを作らせたのだつたが、彼は多忙でほとんどが廃棄された。僕は、小料理屋で飲みながら仕事の愚痴を云ふのを好まないが、かうした話は愉しく時を忘れる。・・・「猫」もナポレオンのこともフィクションである。彼らの日常は料理を作ることであるが、毎日のやうにお気に入りの料理を作るけれど、廃棄される。しかし、・・・。
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2007/09/17 02:38 |
事ぞとなくて。・・・よしあしなぞ。
・・・(日付のない日記)
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2007/09/04 02:16 |
珈琲ルンバ
《一つの微笑が草の中に落ちた。》(シルヴィア・プラス)
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2007/08/13 17:09 |
読む人、旅人、聞く人。・・・其のほか。
オーデンの、おそらく、最初に読んだ詩は Consider と云ふ詩だつた。オーデン・グループを扱つた英文学の文庫のなかにあつたものである。今では糊も壊れて頁はばらばらになつてゐる。其れから深瀬訳の「オーデン詩集」を買つた筈である。同じ頃、吉田健一が「不安の時代」を批評してゐて失敗作だつたと云ふやうなことが書かれてあつた。高校生の僕は、不安と云ふ英語を其の時に覚へた。其れから「染物屋の手」の瑞典語訳を、ペイパーナイフを使つて、異國の旅先で読んだ。
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2007/08/13 13:04 |
プラネットは御休みです。
自鳴鐘。
日時計とは異なる機械仕掛けの時計。
陰暦七月は、季語で、秋。
・・・
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2007/07/20 17:44 |
午睡の夢のなかに走る鼠を追ひかけて。
納屋で少年は梟の出現で驚いて逃げ出す。同じく人間の出現で逃げ出したのは鼠である。
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2007/07/17 01:51 |
蛇の蚊のやうに生きる。
「そんなこたァ蛇が蚊だよ」と云ふ言葉を木下順二の本で知る。其れを捩つて、蚊の側に立つて無益な言葉を連ねる。僕には、蛇が蚊を気にしないやうには生きることが困難である。其れは心の問題だらうか。人の多くは蚊のやうに生きてきたのではないか。此の國の老人のすべてが年金を求めて役所へ殺到したとしても、おそらく、國家は安泰だらう。もし、其の國家が安泰ならば、なぜ人々は、老人は國家へ押し入らないのだらうか。國家の機構ではなく、其れは老人の領分ではないか。不精で怠け者なのは子どもと老人であらう。助兵衛なのはいつも...
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2007/07/10 02:27 |
いつもの如く男爵夫人は家を出る。
彼女は愛読書を二十回も読んだ。其れも「リヤ王」である。彼女には料理の苦手な秘書がゐて、其の腕に縋つて歩く。彼女は読書の愉しみを語りながら、本当の愉しみを説明する。Isak Dinesen は、今日、英米の作家のやうである。彼女は丁抹の最も有名な作家だらうが、英語でも書いたのだから、其れは奇妙なことではあるが、最も英米的な作家として知られてきたのは瑞典翰林院が候補に選んだ時からではないのか。(1885−1962)・...
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2007/07/03 03:29 |
なには扨措き、希望を。
欲望と期待をまとめて希望としたのはビアスだつた。辞書を開けば、発心集よりの例文あり。《好いは悪い、悪いは好い》と魔女が云ふ。今日の天候もまた其れに似てゐて妙である。起きれば天候の予測と一日の運命を予報してゐる。今日が好ければ明日は必ず好くないのが占ひの極まりである。明日が好いためには今日は悪くなければならない。希望と云ふ言葉は二つのことばを関係代名詞で結んでゐるやうにも見へる。老人には三人の魔女のことばばかりが気にかかるのである。・・・暫くは、雑談でも、夜明けまで。
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2007/06/26 14:41 |