愉快な散歩或いは読書

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<<   作成日時 : 2012/02/12 15:05   >>

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中国宋代の偉大な山水画と西洋近代絵画との最大のちがいは遠近法の有無ではなく、その在り方にある。
                                                吉田秀和






続けて僕の好きな音楽の題名を其の儘に表題とする。此れは悪くないと思つてゐるのだが自負してゐる訳ではない。勝手な空想と遊びに繪を添へるやうなものである。本を読みながら音楽を連想し音楽を聴きながら本のことを想像する。土手へ通じる道がある。登つて行くとゴルフの練習場がある。週末は人も多く大抵は男ばかりである。帰り道クラブを持つた人と摺れ違つた。次にバットを持つた二人の青年が続いた。Et, lorsqu'il empoigna Gervaise dans ses grosses mains noires, il fut pris d'une tendresse, il souleva doucement cette femme qui avait eu un si long béguin pour lui. Puis, en l'allongeant au fond de la bière avec un soin paternel, il bégaya, entre deux hoquets:
— Tu sais… écoute bien… c'est moi, Bibi-la-Gaieté, dit le consolateur des dames… Va, t'es heureuse. Fais dodo, ma belle! 此れは居酒屋の最後の処である。Gervaise の死で終る此の小説は時代の遠近法のなかにある。故に Alone と云ふことではない。此処で整理してみる。

Walter Scott 1771-1832
Jane Austen 1775-1817
Émile Zola 1840-1902
Sherwood Anderson 1876-1941
   
例へば Gervaise の娘がナナである。・・・

新藤凉子が書いた吉原幸子の追悼の詩を読みながら hall は広間ではなく邸か館か城であり park は勿論公園ではないことを考へる。On that event they removed to Mansfield; and the Parsonage there, which, under each of its two former owners, Fanny had never been able to approach but with some painful sensation of restraint or alarm, soon grew as dear to her heart, and as thoroughly perfect in her eyes, as everything else within the view and patronage of Mansfield Park had long been. 主人公の女性の名前は Fanny Price である。Jane Austen の生涯は短いけれど完成された小説もさう多くはない。しかし彼女はさう思つてゐなかつたかもしれない。彼女は斯様な詩人だつただらうと僕も吉原のこと思ひ Mansfield Park を読みながら前後する。

土手に作られた練習場とグラウンドを眺めてポケットから煙草を取り出し二個目の使ひ捨てライターで火をつける。男たちのクラブを振る姿を見てゐると今日は左利きの人の多いことに気づく。Elizabeth Bennet と Fanny Price の比較は面白いかもしれない。長女と次女。

此れは以前書いたことの再録である。デューラーとその時代。彼が手拭変りに「挨拶」に用いたのは版画だつた。・・・そして、オースティンに見られる「笑い」は肉体の問題であつて、いつも最後には精神的な調和によつて終る。これはひとつの小説の基本を作つてゐる。

一人の不思議な小説家を上記のメモの最後に追加する。彼の名前は Henry James である。僕の苦手な作家の一人であり翻訳で最後まで読むことが出来たのは一作だけであつた。なぜさうなつたのかと云ふ理由を上手く書くことが出来ないけれど面白くなかつたと書いただけでは説明にもならないだらう。例へば princess と云ふ英語を難しくない単語の一つにして僕のなかでは複雑な気持ちが生まれる。高橋源一郎が昔 Richard Brautigan の詩集を訳してゐたことがあつた。僕は其の奇妙さを連想する。訳せなかつたものは削除したと云ふのは高橋であるが其の感覚を信用できないと感じたのは僕である。Brautigan の詩集が面白くなかつたことと Henry James の小説が面白くないことは共通してゐないけれど詩に限つて云へばずつと下らないのであつた。・・・Mr. Robinson has shot himself through the heart. He must have done it while you were fetching the milk. The Princess got up, hearing another person in the room, and then Schinkel perceived the small revolver lying just under the bed. He picked it up and carefully placed it on the mantel-shelf, keeping, equally carefully, to himself the reflection that it would certainly have served much better for the Duke. 此れは The Princess Casamassima の最後の部分である。主人公である Hyacinth Robinson の自殺で終る。

Henry James 1843-1916

但し此の小説を読んだのは翻訳でありなぜ最後の部分を原文で引用したのかは他の引用と関連させたことが理由である。意味はあまりないが意味は少しあるかもしれない。本当は別の最初の方を幾つか引用した方が彼の文体を見るのには面白いと思つたけれど。翻訳は十分面白かつた。原文はざつと眺めたけれど僕の能力では上手く読むことは出来ないだらう。慣れることに時間が必要である。 Henry James の解説や参考書を読むと視点の技法と云ふやうなことが書いてある。其れを知つて読むことは可能である。例へば宮本百合子のソヴェトのピオニェールはなにして遊ぶかやモスクワの辻馬車を読んで道標を読むことが一つの理解への道であることに似てゐるかもしれない。

今日は二月十四日である。小雨。近所の幼稚園から帰宅する園児と母親が道に溢れてゐる。僕は其の間を抜けて歩いて行く。バス通りに出ると見知らぬ老女がやつて来てチョコレイトですよと云ひながら小さな箱を差し出した。僕は礼を云つてポケットに入れる。駅前では若い女たちがチョコレイトを配つてゐる。否販売してゐる。テレビでは今日だけで一年の二割を消費すると云ふ。半数の人が一箱参千円のチョコレイトを買ふやうだ。亜米利加では女がチョコレイトを贈り男が下着を贈るやうである。其れはテレビの話である。細君が帰宅して貰つたチョコレイトを見せると妖しいと云ふ。確かに妖しくて危険である。なにが! よく見ると紙が貼つてあり「オレオレ詐欺に注意」とある。コチラが老人だからか。若い人にも配つてゐたやうな気もする。悪くない。・・・どうだ。日本の小さい同志。ひとつ、まけずに、こっちでも、ためになる、真面目な、集団遊戯を考えようではないか。

或る人のブログでは本の頁と頁でハートの形を作つてゐた。

曇り空ではあるが寒くはない。昨日雨のなかを歩いたからなのか具合がよくない。散歩も古本屋で William Blake の版画集を眺めて途中で引き返した。中古本屋では Nancy Drew の英語版の文庫がとんでもない値段を付けてゐる。愚かだ。帰宅して貧しき人々の群れの著者の解説を読み伸子の創作ノートをみる。帰り道に向ふからやつて来たのは若い女である。細くて背の高い脚の長い女である。辻馬車に乗つた日本人は小さい女である。Zola 描いた女主人公は・・・Austen の姉妹たちは・・・と考へ居酒屋からナナへ。今夜は伸子をノートを横にみて読んでみる。

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