愉快な散歩或いは読書

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<<   作成日時 : 2012/02/17 11:36   >>

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某月某日

繪事功殊絶と杜甫の詩にある。春になれば秋になればと思ふと時は過ぎ去り再び冬が来て夏が来る。梅園を見て龍子を眺める予定ではあるが春を待つ必要もなく横になつて百合子が顕治へ書いた無数の書簡を読み Zola を押しやる自分自身を嗤ふこと頻りなり。

某月某日

神話では天空と大地あり。羅馬の詩人は時代を四つに区分し黄金の時代銀の時代銅の時代鉄の時代とした。いま将に鉄の時代であらうか。此れはよく知られた話である。僕は詩人の本のなかでは眠りの神の横たはる傍に幻の夢たちがあるエピソードを好む。だれもがながくはそばにゐることはできない眠りの神と夢たち。

某月某日

或る御婦人と話をしてゐて小学校の英語のことになつた。英語の授業はあるやうなのだが彼女は生徒の母親として殆ど興味を示さないのである。なぜだらうかと問へば授業は成績に反映されないのだと云ふ。僕は少し驚き其の通知表もコンピュータから出力されて手書きのコメントもないと云ふことである。恐らくだれも英語は上手くはならないだらうと彼女は云ふ。外國人の教師がきて英語を話して彼女は幾つかの英語をペラペラと云つたのだが其の例文を僕は忘れてしまつた。斯様に此の國の防衛と等しく政治と経済は滑稽である。羅馬の詩人が生まれたのは Cicero の暗殺された年であつた。そして僕は無防備都市を愛する。

某月某日

散歩の途中にいつも立ち寄るパチンコ店がある。トイレを拝借するためであるが先日其の店の近くで傷害事件があつた。僕は先の御婦人より話を聞いたのである。其の時は小学校からチェーンメイルが届いて下校時の迎へを知らせてきたやうである。僕の子どもが小学生だつた頃の連絡網はいまでもあるけれど電話機から携帯に変つたと云ふ。羅馬の詩人の本には噂の穴が出てくるけれど其れは耳の話である。耳は携帯に変り眼へと移行したやうである。春から秋への話が大學にある。優れた外國の学生をよぶためであると云ふ説がある。本当だらうか。テレビの芸能ニュースではタレントと女占い師の話がある。僕は安部公房の芝居を思ひ出してゐた。龍子の画集を眺めて僕自身のなかに黄金の時代の遺伝子は残されてゐるだらうかと考へる。

某月某日

枕草子を面白く読んだことはなかつた。松岡正剛が編集稽古だと感じたと云ふのは名言である。しかし僕には其れを練習するやうな気持ちがないのだ。そして何何はと云ふ随筆よりも他の方へ興味が移るためかもしれない。清少納言はだれだ!紫式部はだれだ!と云ふ疑問に答へた高校時代の教師はなかつた。夏は夜月のころはさらなりやみもなほ螢飛びちがひたる雨などの降るさへをかしと枕草子にはあるけれど古代希臘の詩人の神統記の方が面白いのである。其れは神話である。例へば夜の女神が生んだ凶運死眠り夢の方が僕には面白い。

某月某日

男の地図と女の地図。テレビをみてゐると女が方向音痴であることは誤つた説のやうである。其れを実験で示してゐて面白かつた。男は歩きながらなにもみてゐないことがわかる。硯きたなげに塵ばみと男は思はないのだらう。にくしやをかしは本当は男の発想ではないのかもしれない。

某月某日

遠くて近きものは男女の仲であるが極楽とあるのは枕草子。時は過ぎゆき人のあはれ。杜甫は伐木丁丁山更幽と春の音をきく。西鶴の置土産に零落れてあはれを読む。

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