愉快な散歩或いは読書

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<<   作成日時 : 2012/11/30 23:09   >>

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《我々が日記や手紙や自叙傳を讀んで「面白い」とか「面白くない」とかいふ感想を述べることはあつても「よく書けてゐる」とかゐないかいふ批評を下すことは先づないと言つてもよい。》
                                                     杉捷夫








去る二十九日、B29五百機、P51百機が大挙して主に横浜地区を暴爆した。此の日、六時五十分頃、警戒警報、七時五十分頃、空襲警報が発令せられた。(五月二十八日 晴)
 

此れは無名の人の昭和二十年の日記である。僕は、横浜の空襲と戦災〈2〉市民生活編 と云ふ本から引用してゐる。 
同じ本の別の日記から。


六年生は宮之下へえいれいむかいに行った。昼、まぜ御飯。(昭和十九年八月三十一日)

朝 たくわんお付
昼 たくわん のり
夜 たくわん なす さつまいも(同九月十六日)

森永きゃらめる
朝 こぶ なまたまご カボチャお付
昼 こぶ ごま いものまぜ御飯
夜 さば魚(同九月二十四日)


都会の戦時下では、かぶり物と云ふ本に拠れば、座蒲団を二つに折つた防空頭巾から鉄兜への變化が見られる。其れは戦後、最終的には煮炊きに使用された。果して其れは腑に落ちるのか落ちないのか。


昭和二十一年の或る日記。


宝くじ当籤発表。一万円はおろか完全に十円損をす。(六月十五日)


有楽座にて新国劇を見る。鶴見駅にて雑誌を二冊購入。蜜豆代にて買えるのだが、而し一般に現在、食う事にのみ追われるので、娯楽とか、書籍とは食物にくらべて如何にも安い。(六月十七日)



馬琴日記を読んで森銑三が書いてゐる事だが、馬琴は寂しい人だつた、と。


日記とは関係ないのだが、上記に防空頭巾と鉄兜の事を書いた。岩下志麻の鏡の向こう側にを読んでゐたら、敗戦間際の鵠沼の事が出てゐる。切迫した状態に鉄兜は不思議であるが、此処では防空頭巾は普通だつたが、稀に鉄兜もあつたようである。幼児だつた志麻は鉄兜を得たらしい。


戦時下とか戦後とかの状況がよく判らない。・・・織田作之助は戦後まもなくして死んだ大阪の作家である。彼は東京の文壇へ出て・・・と云ふやうな話を花田清輝が書いてゐた。其の逆の典型として谷崎を出しながら、其れが戦後の一つの状況であらう事は理解できる。

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