愉快な散歩或いは読書

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<<   作成日時 : 2013/02/21 01:03   >>

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   毒薬。毒薬。またはじまつたな。
                       武田泰淳



時間がなくなつたな。はらはらしながら生きてゐる気がする。新しいブログを書く予定で避けてきたのは何だらうか。何故だらうか。体調もよくない。からだは硬直して最後はやつてくるかしら。・・・続けて書いてゐると私小説になる。泰淳や高見順を読み直す時間はないか。

身辺整理を始める。


武田や高見順の小説は面白く、面白さを表現することに長けてゐる。白樺派はもとより好きではない。小説は下手である。嫌ひな筆頭は志賀直哉である。・・・昨日、帰宅できなくなつて朝まで暗夜行路を読んだ。持つてゐたのは、岩波文庫版前篇の一冊である。最初読んだときは主人公に苛苛したのだつた。今回は遅読の僕が一気に読了した。

雨戸を開けると梧桐から百舌が逃げて行くのが見える。なぜかコノ情景が好きになつた。暗夜行路は不義や放蕩の話の羅列であるが、細部は殆ど忘れてゐる。そして、其の細部がドレモ面白く傑作であつた。東京での主人公の移動が愉快である。酒と女と食事の放蕩である。心が彼方此方に動く。若かつた頃の僕は其れに苛立つたのだらう。主人公も苛立つてばかりだから。

漱石と一葉の経済学。一葉の吉原大門と暗夜行路の吉原は異なるが其れは少しの時間と考へるべきなのか。コノ実感が判らない。調べて納得することが出来ない。主人公は放蕩のために骨董や本を売る。登場する女は多彩であるが直に嫌ひになる。そして直に別の女が好きになる。

テレビで荻野アンナが出てゐて、自分も癌になり、母である江見絹子もさうである話のなかで煙草が止められない江見に僕は興味を持つた。最後までと云ふのが僕らの思考だらうか。コリン・デクスターのモースの最後も病室のベッドのなかで愛するウィスキーが飲めない處で終る。・・・好きなワーグナーの曲が流れてゐたのかは忘れたけれど。


暫くデクスターとウッドハウスを交互に読んでゐた。勿論、彼は彼の小説を愛読したであらう。最初の彼はデクスターであり、後者はウッドハウスである。

武田も高見も私小説は意識してゐた筈である。志賀は、しかし、其れを逆手にとつたのではないだらう。

モースはいつも失敗を重ねてゆく。デクスターのミステリはユーモア小説ではない。ウッドハウスのジーブスは失敗はなく完璧である。ウッドハウスの小説はユーモアであり、展開がいつも想像の彼方の結末に落ち着く。其れが笑ひなのだ。

エミリー・ディキンスンは死んだのラングトンは二人の作家の中間に位置すると云ふべきだらうか。

ラングトンはエミリー・ディキンスンの学者でもあるが、デクスターもウッドハウスも単なる作家である。此処にグレアム・グリーンを登場させても宜しい。彼らは英国の作家である。其れが鍵ではないか。かうしたミステリ作家はコノ国には存在しないだらう。


文学の断絶は明治時代と戦後である。

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