愉快な散歩或いは読書

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zoom RSS 四月の馬鹿

<<   作成日時 : 2013/04/04 02:41   >>

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ケイトが生まれ育つたのは、倫敦近郊にあるコンクリート造りのショッピングセンターと産業の町クロイドンだ。
                                                          「ケイト・モス」より





某月某日

テレビを見てゐると、元野球選手の二人が・・・と画面の上段に、冗談のやうに現れた事が今回の題名の由来である。幾つかのものが値上げした事が由来でも同じではあるが。僕は、怪物がめざめる夜を再読してゐた。其の日の朝まで。そして、一度も会つた事はなかつたけれど、南の地方の其の相手が二度とメールはしないと。不思議な始まりの季節である。

某月某日

父が剃刀の刃を新聞紙で砥いでゐた事を思ひ出し、其れは僕の中学生の頃に試してみたのだつたけれど、成功したとは云へなかつた。刃も一枚ではなく二枚三枚と多くなつて、其れは詰らなくなつてしまつた。其れでも未練は老人になつても残つてゐて・・・。

某月某日

クロイドンの事を倫敦文学案内等で調べてゐたら朝になつた。志賀直哉が欧羅巴を旅して色色に書いてゐる。以前は其れを面白く読んだのだつたが、いま彼が倫敦にゐて倫敦の事を書いて、さて倫敦の何処の事なのかを考へる。エリオットの荒地に倫敦が出てくる。若い頃に幾度も繰り返して読んだが、自分のなかに倫敦が鮮明に現れる事はなかつた。なぜか。

某月某日

ブログに、倫敦を読むを書いて僕は直に頓挫してしまつた。其の時に参考にする予定でゐたのが、ウィルソンの編纂した London だつた。其の時の記憶で僕はエリオットの詩を思ひ出したのかもしれない。

某月某日

某國のミサイルの話題と村上の新しい小説がテレビの中心になる。ドチラも世間話である。ドチラも興味はないのだけれど、本を読む事、新しい小説を読む人たちの行動に笑ふ。

某月某日

或る人が云ふ。多くの人が云ふ事に反対をする。だから道を逸れて道を外れて崖から落ちる。落ちた自分を誰も発見しない。・・・斯様な事を台所に現れて缶詰を一個手にして帰つて行く。毎夕の事である。茹でたブロッコリーを差し出すと、否と!

某月某日

いつしか四月の馬鹿が五月まできて、なにもしない儘に五月のサヨナラである。しばらくぶりのメールを或る御婦人に送つた。彼女とは本の話が多い。思ひつく興味ある話題がないと困る。僕は父親の世代である。もつと若い人からは小林賢太郎を知り、更に若い人からは太宰治と恋愛の与太話に困る。

某月某日

一番若い人には太宰の復刻版を二冊贈つた。中年の二人の小学生の母親である御婦人に、梅崎春生のボロ家の春秋について書いた。多分、其の人は桜島や幻化に興味はないだらうから。或る時代の混沌の話であらうか。別の云ひ方をすれば神話である。・・・其れから後の時代の混沌のなかで、或る漫画家が其れを読んだかもしれない。李さん一家は僕には斯様に思はれる。凡そ空想的かもしれないが。

某月某日

今日のテレビでは関東地方も梅雨入りである、と。梅雨の季節とはなにか。此の國の四季とはなにか。松田修が十返舎一九を読みながら弥次郎兵衛と喜多八の旅の季節について書いてゐる。

某月某日

老人の故か、其れとも体調不良なのか。最近は汗が出なくなつた。寒いと感じる事はある。暑いと思ふ事はあるのだが、其れでもスツキリしない。

某月某日

いつだつたかな。とても最近のやうだが遠い記憶のやうな気もするのだが、暗夜行路を読んだ。三度目だつたけれど、僕としては快速電車の速度だつた。そして、昨夜中野重治の「暗夜行路」雑談を再読した。再読した志賀の小説の方は岩波文庫である。活字が細かく閉口したが、細部を更に幾度も読んだ。生徒が感想文を書くより丁寧に読んだ筈である。中野の方は、長きに亙つての彼の得意の批評である。確かに、連載が終はるのに時間を要した。其れを読んでゐた読者がゐる。其の後、纏められた本を読んだ読者もゐる。両者の感想の異なる事を中野は書いてゐる。・・・生徒たちは斯様な事を知らない。

某月某日

誰かがテレビで、雨蛙は雨が降る前日には高い場所に居て啼く、と。斯様な事が子どもの本に書かれてゐるらしい。そして、雨蛙の飼育用に蟋蟀が売られてゐる、と。

某月某日

父の日。映画は観なかつたので、ブルーレイでエヴァQを。・・・かうなると、いつまでも完結しないやうな気がする。

某月某日

先週より右手中指に菌が入つて通院。指の先に包帯しただけでキーを打つのも巧くない。或る人のブログのコメント中に画面はとんでしまつて諦める。

某月某日

今日も病院。また来週も行かなければならない。包帯はとれてワセリンを塗るだけになつた。当然であるが指の動きは良くなる。三十年も昔に左手薬指を動かす筋を駄目にした事があつた。

某月某日

Now And Then の続きを書くとすれば、・・・父が病院でなくなつた時、母は眼を閉じた父の耳もとで叫んでゐた事を思ひ出す。母は悲しかつたかもしれないが、其れは絶叫ではなく、優しさの呼びかけではなかつたか。心地よい眠りのなかで父は其れを聞いた筈である。

某月某日

少し古い海外の新聞を見てゐると、Esther Williams の記事。此処に何が見えてくるだらうか。

某月某日

或る人のブログに、或る女性のリストが出てゐる。古くは、ストウ夫人からジョイス・キャロル・オーツまで。

某月某日

日曜日の或る日。午後。近くの煙草屋まで。途中、家の前に立つて喫煙する親爺らが二人。・・・喫煙は悪癖だらう。其れは僕も同じである。学生の頃、試験のときだけは喫煙を許可した教師がゐた。しかし、試験に役立つた記憶はない。まだ、喫茶店では燐寸が普通だつた。喫茶店も燐寸も見なくなつて久しい。

某月某日

指は完治した訳ではないが、本日で通院は終了。

某月某日

クロイドンは倫敦に含まれるだらう。其のクロイドンを調べてゐたとき、僕の頭のなかではブライトンにすり替つてゐた。なぜだかかうした事が僕にはよくあるのだ。小説を読む場合に英國の地理は重要である。と、書いてから其の実感は本当はないのだけれど、古典的小説でも現代のミステリでも、英國の地理から地名から逃れる事が出来ないのは確かである。・・・ブライトンは、イギリスの江の島であると江國滋が書いてゐた。其の事が頭を霞めて気づゐたのだつた。先日、母に会つて話したのは言葉が出て来ないと云ふ事だつた。物忘れも誤謬もドチラも時差がある。

某月某日

世界遺産だとかオリンピックの招致だとか政治や経済に絡んでゐる事は常識のやうになつてゐる。しかし、僕には経済をよくしらない。直観のやうなもので不快だと思つてゐるに過ぎない。東京オリンピックの頃に僕は子どもだつた。其の最終日に、次回はメキシコ大会であると電光掲示板に出る。メキシコが如何なる國であるかは知らなかつただらう。・・・大塚の日記を読みながら考へた。

某月某日

精細な批評から、小林に戻る気がする。彼の批評がさうではないかは問題ではない。

某月某日

夜、一人でテレビを見てゐると、蚊が飛んできた。何処から来たのか。・・・トイレの天井にある換気の小さな窓から蜘蛛の糸。

某月某日

漱石に、手紙と云ふ短篇がある。此れは傑作ではないだらうが奇妙な小説である。多分、失敗作であるが、何故失敗したのかは気になる。

某月某日

だからと云つて、手紙は面白い小説なのである。荒正人も気にかけてゐた小説であるが、其の後彼がなにを書いたか書かなかつたかは知らない。人生は短い。しかし慌てても仕方がないのが人生か。重吉の果てを漱石は如何に思つてゐただらうか。

某月某日

一週間の間、部屋の本の整理。そして未だ終らないのであるが、息切れ動悸。整理とは処分する事なのだらうが、其れが簡単ではないのである。最早本を惜しむ気持ちは少しもない。・・・そして、また横道へ。ビュトールの心変りについてのレリスの批評を読みながら、彼は学者だつたのか作家だつたのかと考へる。

某月某日

例へば、漱石や鴎外を読みながら、或る懐かしさを感じる事はないだらう。谷崎や堀辰雄でもさうだらう。初期の短篇から個人的な体験までの大江の作品は、僕にとつては懐かしさに満ちたものである。片付けをしながら、彼のさうした作品を読んでゐると、いまでは退屈でもあるのだけれど・・・。

某月某日

退屈ではあるけれど、僕にとつてはわれらの時代や見るまえに跳べは好きな小説だつた。幾度も読み返した作品ではあるが、見るまえに跳べに出てくる良重と云ふ名前に今日まで実感がなかつたのである。懐かしさとはかうした事ではないか。黒人と娼婦と少年、青年の構図はドレモ同じものだつたが。

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