愉快な散歩或いは読書

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zoom RSS 王國の、魔のリズム。

<<   作成日時 : 2013/08/03 17:59   >>

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白秋の雀の生活は散文の詩でせう。・・・鳥類の中の雀を、大概の人は、地上の石ころ同様に思つてゐます。と詩人が書いて観察してゐる。彼は何処にゐて見てゐるのだらうか。庭に面した縁側からだらうか。小田原の散歩の道すがらだらうか。

しかし、聖フランシスが出で釈尊の雀も現れ・・・そして茶色の雀。もとより其れは自分であり、普通の人間である。アツシジの雀は金色であるが、此の國の雀はかはいい。


映画館へ出かけなくなつて久しい。テレビで其れらをみる。番組は再放送される。前にみたと思ふ。だが、結末が怪しい。退屈であるから再びみる。途中までみても最後が怪しい。・・・結局、終りまでテレビの前で横になつてゐる。さうした映画は世間の評判になつても傑作ぢやない。此れは僕の主観である。

映画に限らず繰り返し放映される番組をまたみる。忘れるからである。殊に結末を忘れる事はミステリ小説を読むのと同じである。僕は多くの無駄な時間を過ごしてきたのか。


雨。湿度も高く、時時雷雨。面倒な気分である。雨のなかの散歩は悪くない。しかし、雷雨で近所の煙草屋まで出る勇気がない。僕の出た小学校のプールの木立に蝉が鳴く。今日は果して鳴いてゐたか。雷雨が止んで庭は静かである。まだ雨は降つてゐるのだらうか。煙草屋までの距離と小学校までの距離といま居る場所からの距離は近くて面倒。残つた煙草の本数を見ながら明日を待つとする。


漱石だつて戦争には無関係ではなかつた。彼だけではなく此の國の人々がさうだつた。猫は其のなかで死んだ。と、勝手に読む。いままた喧騒のなかにある。愚だ。胃が愚である。


同じ年の、小学校では一度も同級にはならなかつた男がゐて、顔を合せても話すことはなかつた。彼は秀才だつたらうが、公務員になり結婚し子供をつくり、新しい家を建てた。斯様なことを少しも知らずに同時代を過してきたのだつた。総ては母の話である。しかし、愚の儘に生きてきた自分と如何に違ふのかは判らない。結果に於いて同じやうな気もするのだが、時間だけは同じだつたのか。


辻まことの辻潤の作品を読みながら彼の作品を読み返したくなつた。いまになつて思ふと、高校生の頃に特に気に入つてゐたのは辻と大江だつたのではないか。・・・十代はよく揺れ動いてゐた。其の事を頻りに回想してゐる自分があるのだ。土地と自分が回想のなかで係るのが己の性分である。アノ頃は斯様な考へも皆無だつた。


三四郎や青年は空想の地図なくしては読む事ができない。無論、空想とは不確かだと云ふ事である。


本郷には昔の友が住んでゐる。井戸があつて、玄関を入ると階段である。いつも暗く猫だけが足音もなく歩く。誰も住んでゐないやうだ。路地から通りへ出ると都会の光景。昼も夜も人でいつぱいである。


オリンピックの騒ぎも台風も過ぎ去つたかしら。ドチラも戦争前の興奮に似てゐるのではないか。


テレビでは、・・・いままでに此れ程の経験はあつたでせうか?


テレビは面白くないので古いCDを聴く。エルヴィスを聴きながら考へ事。はて、いつまでも音楽の方が終らない。此の時代のアルバムは大抵三十分位のものなのに。機械の方は繰り返してゐたやうである。考へ事は途切れて音楽はいつまでも続く。

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