愉快な散歩或いは読書

アクセスカウンタ

zoom RSS 万の反古

<<   作成日時 : 2013/10/10 17:38   >>

トラックバック 0 / コメント 0

おぼえている人もあるかも知れないが
                          金達寿




二葉亭の平凡は、さて何もやることがないので、小説を書くことを決心する。そして、技法を考へる。此れが僕には可笑しいのである。高校生の頃に読んだ二葉亭はもつと生真面目なものだつた。現在の自分は笑ふのである。

先日、母と墓参りをした。母はとても小さく感じられた。・・・何だか平凡である。子どもの頃、主な遊び相手はスピッツの白だつた。庭へ白を放つと直に外へ逃げ出したのだつた。当時は犬にとつて物騒な世の中だつた。子どもには其れが理解できない。此れも平凡である。

私は祖母が一番好きであると云ふやうな事が出てくる。僕もさうでした。斯様な家族の関係は少し前までは普通だつた。

辞書を見ると、万代に斯くしもがも千代に斯くしもがも・・・の引用がある。

二葉亭は平凡を諷刺だと語つてゐる。

いまでは子供らよりも犬の方が愛されてゐるかもしれない。二葉亭の有名な小説の主人公は犬のやうだつたかもしれない。当時もいまも物騒な世間を生き抜くことは容易ではない。

戦後、と云つても数年後の事であるが、軍國の時代と民主の時代が其の一年一年を振り返りながら、宮本百合子は両者が裏と表のやうに變化するさまを書いてゐる。

道標の後、百合子はまもなく亡くなつたけれど、上記の書かれた一文と道標の時代とを考へるならば、彼女はいつまでも同じやうな事を模索し続けてゐたのではなかつたか。

夜、テレビをつけると平成の時代を振り返つてゐる。しかし、退屈で楽観的でつまらないのである。雇用も東北もメディアの得意とする處だからか。其れを柚胡椒のから揚げをつまみながら見てゐた。チャンネルを變へると音楽番組で、此処にも柚がゐた。歯が痛くなつた。

月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
万の反古 愉快な散歩或いは読書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる