愉快な散歩或いは読書

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zoom RSS 自殺志願

<<   作成日時 : 2013/12/16 00:07   >>

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    僕がパンを食べないのは・・・
                  モーム



自殺志願。プラスの小説、旧訳の題名である。新訳の方は読んでゐない。なぜ彼女が自殺したのかは以前書いた気もするが忘れた。そして、老人も緩慢な自殺を志願中である。継続は数十年に及ぶ。年月は続くけれど人間の生は短くて儚い。墓もない。いつもぼんやりして僕は老人になつた。プラスは短命の道を選択し、僕は洗濯も掃除もしない。乱雑な生こそが自殺志願。何もしない。其れは緩慢で傲慢である。

マルコにフビライが訊ねた。と、カルヴィーノの小説にある。なにを訊ねたのか。順風の行方。古い本を持ちだしてしまつた。此れも新訳はあるだらうか。僕は知らない。知らないから読んでゐない。現在の僕は其れで充分である。老人になつて風を感じなくなつた。身体的な力がなくなつた。筋肉が失はれた。重力を感じる。

元来僕は人生には悲観的である。だから友人はオマエはいつも楽観的で其れを隠してゐる、と云ふ。真実を見せないのは悲観的である。さうぢやないのか。一週間何も食べないでゐるのは簡単な事だつた。そして少し食べ始めると、或る日から僕の頭のなかは食べる事でいつぱいになつた。何故か暴飲暴食もできなくなつた。食べるための呼吸ができない。

隣家の御婦人は多分僕の母と同じくらいの年齢であらう。ニ階から子どもが降りてきて云ふ。外で水音が・・・。台所から下を見ても暗闇である。懐中電灯を照らすと庭の蛇口から水。其れを知らせに子どもが出て行く。締め忘れのやうである。少し前に鍋を返しに行くと夕飯の最中だつた。しかし、僕を見て着るものの心配をしてゐる。眠れない日日を母は心配してゐる。

欲望。喫煙はやめることができない。目覚めてからは食べることで何も考へることができない。何も考へないために断食する。横になつてゐると喫煙はしない。横になつて本を読んでゐるのが一番である。しかし眼は活字を見ることができない。マルクスもノーマンも読むことはないか。

不如帰の最後の方に、前途遼遠しぢや。とある。此方は明らかである。今年は戦の予感ばかりが浮かんだ。オリンピックに浮かれたのも愚である。・・・オリンピックから不如帰を連想したのは僕だけであらうか。

金。庭の緑は見慣れてゐる。ミドリとは異なり金には縁がない。庭には大きな無花果の木があつた。いま隣接した駐車場に其の木の子孫がある。老人は其れを今年になつて知つた。無花果は金である。

新年に何が違ひがあるだらうか。新聞屋から新しいカレンダーを貰つた。其れは細かい註釈がついてゐる。冠婚葬祭から日の出日の入り月齢に誕生石まで。気分は新たになつたか。若い人に大拙を読み直すとメールした。若い人は大拙の読みを知らなかつた。だからと云つて老人も忘れることばかりで知らないのだ。ばらばらになつた全集も何処にあるのだらう。

年賀。辞書には年始の祝賀とある。カレンダーには七日までにとある。子どもの頃、父が本家へ年始にゆく。僕も其の後に続く。目当てはお年玉であつた。家は大地主であるが質素だつた。お年玉も子どもには嬉しくもないくらいだつた。カレンダーにはお年玉の表書きに子どもの名前をかいてあげると喜ばれるとある。僕にはお年玉に何か書いてあつた記憶はない。僕は袋を指で硬貨か札かと調べる。百円五百円千円が相場だつた。学校が始まるとお年玉の話である。妹が邪魔である。一人ならばお年玉は有利に働いただらうか。子どもの経済学と大人の経済学は同じである。

江戸つ子の言語技術にいて戸板康ニが書いてゐる。例へば啖呵である。辞書には江戸つ子弁でまくしたてるとある。戸板はユーモラスな機智をまじえたと書いてゐる。其れが東京人にも残つてゐると。江戸を舞台の時代劇には其の様子が出て来る。江戸から東京へと云ふテーマはいつも考へさせられることである。いつの時代にも子どもは如何に生きたのだらう。正月凧揚げも羽子板も見ない。いじめにユーモラスな機智はない。故に彼らは啖呵を知らない。僕も遠い記憶を辿るが見つからない。百合子の世代が最後ではなかつたか。作家は其れをとても意識しただらう。僕らの失敗は其れを受け継がなかつたことである。

深夜古い洋画をテレビで見てゐた。舞台は紐育の地下鉄である。此処に出てくるのも大都会の啖呵であらうか。僕は英語をよく理解できない。刑事が犯人の一人を英国人だと判断する。此れも僕には理解できない。判るのは犯人の最後を特定するユーモラスなオチだけであつた。

正月。鎌倉は人と車で一杯である。観光用の人力車も危なくて走ることができないと云ふ。其れに伴つて鎌倉へ入る車には課金すると云ふやうな話がる。総てはテレビの受け売りである。何故人は人混みを愛するのか。課金にも問題は多い。立地も川崎大師や明治神宮とは異なるだらう。啖呵は短歌であらうか。否短歌は短歌であるのか。鎌倉時代の歌集がある。やはり言葉は啖呵でもある。実朝も後鳥羽院もさうだと云ふのは誤りかもしれないが。

戦争は人間のもつとも重大な発明のひとつだと云ふことをエンツェンスベルガーは云ふ。其れには歴史がある。彼の云ふことについては書かないがベンヤミンは其の逆の方向から書いた。僕にはドチラも同じ流儀に思はれる。昭和のはじめに仏蘭西の文学の頂点はジイドとプルーストとヴァレリィだつた。さう日本人は考へたのだ。しかし其れは仏蘭西文学のひとつの点であつた。点と頂点は異なるだらうがドチラも同じやうだ。何処かの首相は戦争を礼賛するだらうか。彼は忙しいを口癖にするかもしれない。老人は退屈を友としてジャム詩集を開くか。

賀状は書かない。其れも数十年も前から。エスカレーターが逆行し止まり強姦強盗が逃走して地上も空中も警官でいつぱい。ドロンの映画ぢやないけれど危険がいつぱいである。

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